ノーコスト林業のすすめ
戦後林業からの脱却
荻大陸(著)
四六判 222ページ 並製
価格 2,200円 (本体価格 2,000円)
ISBN978-4-88965-269-7 C0061
在庫あり
書店発売日 2022年02月04日
解説
いまの常識を根本から見直して本来の林業を取り戻せ! ロングセラー『国産材はなぜ売れなかったのか』の著者が放つ渾身の提言と林業人へのエールの書。
紹介
いまの常識を根本から見直して本来の林業を取り戻せ! ロングセラー『国産材はなぜ売れなかったのか』の著者が放つ渾身の提言と林業人へのエールの書。
目次
はじめに 3
第1章 日本の林業はコストをかけなかった 13
戦前期までの林業──薪炭生産が一大産業をなす 14
収益を得ながら森林を育成する焼畑林業 16
異常な材価高騰で単純化した戦後の林業 18
自然力重視の林業に回帰する 20
「三たん地域」にみる基幹産業としての農林業 22
1960年代に生計の柱が相次ぎ折れていった 31
高度経済成長期に一変した日本人の生活 33
高度経済成長期の光と影 35
林業は産業としての自立意志を喪失した 36
〈コラム〉切り札は国民を“休ませる”こと 38
第2章 もともと間伐はしていなかった 43
日本の林業は無間伐が標準だった 44
疎植だから間伐が不要だったわけではない 46
降って沸いたように間伐が行われるようになったのはなぜか 48
丸い物を角物と称して売っていた 50
バチ物のほうが儲かった 51
小丸太の価格がずばぬけて高くなった 52
バタ角は儲かるが「柱挽きは倒れる」 55
間伐とは「劣勢木を伐る」という思い込みが広がる 57
小丸太バブルの崩壊 58
収益を確保しやすい優勢木を伐るのが本来の間伐 61
戦後の柱は細く短くなった 63
天然林材から人工林材の時代になって家の天井高が下がった 66
〈コラム〉芯持柱と芯去柱 72
第3章 生産目標にとらわれない林業へ 75
主旋律は外材時代だが副旋律は国産材役物時代 76
優良材生産の「お手本」とされた吉野林業 77
ヒノキ神話の誕生と崩壊が意味すること 78
戦災が木材需要を激変させた 81
阪神・淡路大震災を経て集成材とムク製材品の序列が逆転 82
集成材時代の到来で旧来の製材品は「半製品」化した 85
需要の主役は木質バイオマス発電に 87
多様な森林ならば移り変わる需要に対応できる 93
広葉樹で活況を呈した岐阜県高山市の実状 94
広葉樹へのニーズが益々強まっている 97
売り物にならない樹種はない 101
〈コラム〉製材乾燥から丸太乾燥へ 104
第4章 焼畑に対する誤解と偏見を解く 109
野菜の品質が劣化した 110
ノーマル=健康な作物とは? 113
焼畑作物が持つ4つのメリット 114
現代農業に決定的に欠けていること 118
水のやり過ぎはなぜ問題なのか 120
薪炭林業型焼畑とスギ・ヒノキ林業型焼畑 122
焼畑林業の復興で新しい時代に対応する 125
「悪い焼畑」なんてない 128
熱帯林の減少が投げかけている本当の問題 130
〈コラム〉農業と人口増 137
第5章 売れる国産材製品とは?─東濃檜が残した成果と教訓─ 141
東濃檜ミステリー──産地はどこに? 142
普通の製材品をつくったら銘柄材になった 144
木材取引におけるモラルの低さ 147
業界ぐるみで粗悪品を広める 148
東濃檜誕生前夜 150
生産品目の分かれ目 154
「柱でいく」という“非常識”路線を選ぶ 157
古くからの東濃材(東濃檜)と銘柄化された「東濃檜」の違い 161
「木曽檜」で横浜に挑むも失敗 163
「東濃檜」が離陸し、飛翔を始める 165
原木は“超地域的”に集められた 171
銘柄形成のもうひとつのカギ 179
原木の良さだけでは銘柄形成はできない 194
東濃檜と役物時代の終焉 199
〈コラム〉ノーコスト林業を阻むカベ 203
終章──現役の製品銘柄 207
おわりに 217
前書きなど
「はじめに」から
現在の林業の常識を見直してみる、これが本書のテーマである。まずは林業そのもののあり方である。現在われわれが林業といっているものは、じつは戦後生まれの新しい成り立ちのものであるということだ。本書では、だからそれを「戦後林業」と呼んだ。そう区切ることで戦前までの林業との変化を明確化し、日本の林業はどこでどのように間違ってしまったのかをみてみた(第1章参照)。
戦後林業では、間伐の実行がまるで強迫観念のようになっている。しかも、その間伐たるや劣勢木一辺倒に伐るというおよそ非合理的なやり方でしかない。間伐神話は、間伐木の伐採は善だが、そうではない伐採は良くないとする弊害さえ生んでいる。
間伐は明確に経済行為と考えるべきで、実行者のマーケティング力しだいでどのような木を選伐するも可なのである。費用倒れや伐り捨てなどは間伐の名に値しない愚行で、それならばやらなければいいだけのハナシである(第2章参照)。
需要は無常である。にもかかわらず、目先の需要に合わせて数年先、数十年先の生産目標を設定して、それに向かって森林を育成する。こういうことをいまなお現実にやっているのが日本の林業である。
その結果、日本の人工林は一様にスギ・ヒノキ山ばかりになってしまった。景観的に魅力の乏しい里山が多くなり、市場にはスギ・ヒノキしか集まらず需給・樹種構成のアンバランスが拡がっている(第3章参照)。
戦前までの林業では、焼畑はふつうに行われていた。薪炭を供給する林業の多くで、そしてスギ・ヒノキ林業のほぼすべてで焼畑は行われてきた。しかし、明治以降の行政府から焼畑は一貫してネガティブにみられてきたこともあり、農山村民も堂々と胸を張ってやるというより、生計のためやむを得ずやっているという気持ちが強かったのではないか。国内でも海外でも焼畑は誤解と偏見の目でみられてきた。
焼畑は国際的にはアグロフォレストリー(農林生産複合)という術語が使われるようになり、再評価されるようになってきたのはたしかであるが、しかしそのなかで「非伝統的焼畑が問題を起こしている」とする見方が登場し、焼畑に対する無理解ぶりはいっこうに変わらないのである(第4章参照)。
戦後に形成された唯一の銘柄材・東濃檜は、戦後林業の映し鏡である。戦後林業は全国をいわば一林業地化した。ゆえにどこを伐っても金太郎飴の如く大同小異。言い換えれば、没産地化したといってよく、地域特性に根ざした産地銘柄は生まれ難くなった。一方、東濃檜は純粋に製材品レベルのみでつくられた差別化商品(製品銘柄)であったから原木を特定地域(産地)に依存する必要は全くなく、それはまさに戦後林業に対応するものだった。
また、戦後の日本林業は歴史上初めて本格的な人工林業時代に突入した。若い人工林業がなんとか商品化できるのは細い丸太であり、それから採れる芯持角である。天然林材時代の角物といえば、それは芯去りであった。だから戦前までの柱のスタンダードは割柱(芯去柱)だった。芯持柱を銘柄化した東濃檜は、その意味でも戦後林業の象徴といえる。
木材の銘柄については、行政・学界はいうにおよばず業界においても必ずしもよく理解されているとはいえない。ブランド形成はそのしくみがわかれば、地域で取り組むこともできるし、メーカーが単独で達成することも可能である。東濃檜の歴史はブランドづくりのよいテキストである。実態に即した銘柄形成のしくみを理解することは、需要が伸びず競争がいっそう激化する時代において、競争力獲得の強力な手段となるであろう(第5章参照)。
役物時代の終焉とともに東濃檜は消滅したが、ブランドを形成し勝ち残っている製材メーカーはいまも存在する。銘柄材の競争力を再確認するために、現役の製品銘柄をみてみよう(終章参照)。
版元から一言
ロングセラー『国産材はなぜ売れなかったのか』の著者が放つ渾身の提言と林業人へのエールの書。
著者プロフィール
荻大陸(オギタムツ)
1946年北海道生まれ東京大学大学院農学系研究科林学専攻博士課程修了、農学博士
京都大学農学部助手、京都短期大学教授、成美大学教授
現在、森林・林業問題リサーチャーとして調査研究講演活動に従事
主な著書に『国産材はなぜ売れなかったのか』(日本林業調査会(J-FIC))、『国際化時代の森林資源問題』(共著、日本林業調査会(J-FIC))、『製材商品の近代化に関する研究』 (都市文化社)など
E-mail:ogi.tamutsu@gmail.com 上記内容は本書刊行時のものです。